2014年3月12日水曜日

平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年02月15日


私と同じ日野の10トンウィング車に乗務したと記憶しているKOですが、彼も小木の遠洋漁船の元漁師でした。私が2度目に金沢市場輸送に入社した昭和61年8月の時点では、既に10トンの保冷車に乗務していたと思いますが、昭和59年10月の私が初めに辞めた時点では会社にいませんでした。

KOも小木中学校だったと本人から聞いていましたが、家は海岸線で小木と松波の中間に近い新保だと聞いていました。当時はいずれも珠洲郡内浦町でしたが、町役場があるのも松波でした。新保だと小木中学校にも松波中学校も好きな方を選べるけど、自分は小木中学校に行ったと話していたと。

何度も書いていると思いますが、小木も松波も平成17年に市町村合併で宇出津と同じ能登町になりました。紛らわしいですがそれまでの宇出津は鳳至郡能都町でした。「のとちょう」と「のとまち」と読み方も違っています。松波も宇出津から距離にして10キロ程度かと思います。

宇出津から小木も10キロ弱だと思いますが、そのまま小木を経由すると松波までは中間に近いという感覚があります。国道沿いに宇出津から松波に向かうのは国道249号線ですが、地元では途中の地名で「十八束」と呼びます。珠洲行きのバスは十八束経由と小木経由があります。

私たちの世代では宇出津と松波の交流は乏しく、小木との交流は多かったです。地域性のようなものもあったかと思いますが、相性がよくないという気もしました。近い割に情報も少なく、なじみも少なかったです。新保の周辺には白丸や川尻という集落もありますが、さらに知らない土地でした。

私の記憶にあるところ、KOはずっと一台だけだった三菱ふそうの10トン保冷車に乗務していました。確か冷凍機がついていたので冷凍車だったと思います。入社したての頃は、6トン車に乗務していたという話もしていいたかもしれません。

他に身近なところでは知り合った頃から、宇出津の私より一つ年下の女性と結婚していました。正確に言えば崎山だと聞いていました。たぶん住所では宇出津と崎山は区別されているように思いますが、地元では宇出津と同じ感覚ですが、宇出津のあばれ祭りでも参加の町内になっています。

崎山台地は私が小学生の低学年、昭和40年代の後半から造成された住宅地です。能都中学校から水産高校の方に行くときも崎山台地を歩いて通っていました。台地の斜面の宇出津港に面した辺りは、酒垂や大蔵町という宇出津の町内です。高台にある酒垂神社の社殿も崎山台地の一部という感じです。

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