2013年7月18日木曜日

添付資料 H04-10-26_事前準備書_私選弁護人木梨松嗣弁護士_02.jpg について 2013年7月17日


H04-10-26事前準備書私選弁護人木梨松嗣弁護士02.jpg | 非常上告-最高検察庁御中Blogger http://bit.ly/12U0g2D

上記URLでWebで閲覧できますが、今回から方法を変えました。これまでは直接、GoogleウェブアルバムのURLを短縮URLにしたものを使っていましたが、これだとファイル名がわかりづらい。httpsのためか短縮URLに登録できない場面があるという問題がありました。

そこでGoogleウェブアルバムの写真のページをリンクに同じGoogleのサービスであるBloggerのブログに、リンクを記事として投稿することにしました。写真・画像のファイル名をそのまま記事のタイトル名にしました。

書面の全体はPicasaウェブアルバムのページで右上の方にあるアルバム名のリンクを開くことで一覧を開くことが出来ます。これは写真2枚ですが、内容はB5サイズの紙3枚です。当時はB4サイズを袋とじにしたものが裁判所に提出する決まりでした。現在はA4になっているはずです。

この事前準備書と題する書面は日付が平成4年10月26日になっています。一審の金沢地方裁判所の判決があったのが同年8月3日。控訴審の私選弁護人となった木梨松嗣弁護士と始めて接見したのは8月17日頃だったと思います。選任の経緯などはのちほど詳しく述べます。

この書面は木梨松嗣弁護士から郵送で拘置所の方にも差し入れがあったと思います。事前の打ち合わせのようなものはなかったと思いますので、精神鑑定の問題にされていることを知ったのも、この書面を見たのが初めてであった可能性が高いです。

精神鑑定について、当時拘置所の独居房にいた私には手持ちの辞書で単語を調べるぐらいしか知識がありませんでした。これより後になるのではと思いますが、「犯罪精神医学」という専門書を母親に差し入れてもたったことがあります。今、この本を探したのですが、簡単には見つかりませんでした。

調べたところこの本は現在でもAmazonにあるみたいです。この情報では発売日が1987/10になっていました。→ Amazon.co.jp: 犯罪精神医学: 中田 修: 本 http://amzn.to/13hPuXc

かわりに発見がありました。控訴審にはいって早い段階から私は手紙で母に法律の勉強をしたいので本を差し入れて欲しいと何度もお願いをしていました。ようやく差し入れてもらった本の一冊らしいものを見つけたのです。

あいまいになった記憶ですが、法律に関するとても初歩的な本が2冊ほどと、小六法があったと思います。数ヶ月後になると思いますが、標準六法というよりコンパクトなサイズのものも差し入れられた記憶があります。

差し入れの方法は面会の時と、郵送があったと思いますが、どちらも手元に来るまでは願箋という手続きと数日の時間が必要になります。私本閲読許可ということになるのですが、本の最後のページに許可証が貼り付けられ、期間が印字されています。

確か閲読許可の期間は月刊誌・単行本で一月、学習用の許可が出たもので3ヶ月、辞書が6ヶ月だったと思います。これらは同時に所持できる冊数にもなりますが、ぜんぶひっくるめて10冊ぐらいではなかったかと思います。

私本交換というのもあったので、交換しながらもう少し多い本を読めたような気もしますが、細かいことは憶えておらず、時代と施設ごとの違いもあるかと思います。学習用の許可が出ると延長も出来たと思います。その都度、許可証が上に貼り付けられていきます。

今日発見したのは次の本だと思います。自分のものは明日香出版社に。→ Amazon.co.jp: 法律のしくみが「3時間」でわかる事典 (アスカビジネス): 堀越 孝, 大野 寿三枝: 本 http://amzn.to/13sZQ2a

写真をアップロードしました。→ 一件記録・写真/その他/法律のしくみが3時間でわかる事典 | 非常上告-最高検察庁御中Blogger http://bit.ly/14bGyVn

今回は写真ではなくアルバムに対するリンクを使いました。法律のしくみが3時間でわかる事典2013年7月17日撮影3.jpgに私本閲読許可証を接写したものがあります。冊数外というのは学習用や辞書のことだと思います。基本的に一度に房内で所持できるのは3冊でした。

期間が半年になっているみたいです。当時同じ金沢刑務所の拘置所で所持していた国語辞典を確認したのですが期間が1年間になっていました。すると学習用は3ヶ月ではなく半年の期間であったことになるかと思います。

平成4年の9月30日に許可が出たことになるかと思います。同日に房内で所持することになった可能性が高いですが、9月の最後の日であり、思っていたよりかなり遅かったです。よく考えてみると小六法の差し入れは、これより前の機会であったかもしれません。

あるいは、小六法の差し入れのあと、この「法律のしくみが3時間でわかる事典」らと一緒に差し入れされたのが標準六法だったかもしれません。どちらの六法も内容的に大差はない感じでしたが、標準の方はかなりのコンパクトサイズでした。

どちらも捨てた憶えはないので、探せば家のどこかで見つかるかもしれません。重要なのは本そのもの存在より閲読許可証に記載された期間の日付です。

ひとつ気になるのは居室という項目に「3−6」の見える手書きの記載があることです。とここまで書いて気がついたのですが、これは金沢刑務所の閲読許可証ではなく福井刑務所のものです。よく見ると期間も平成6年になっているようです。

「3−6」というのは建物の3階を意味すると思ったのですが、自分が金沢刑務所の拘置所でいたのは全て2階の独居房でした。次に気がついたのは139という称呼番号です。平成4年に金沢刑務所の拘置所にいたときの番号は57番だったからです。

福井刑務所の場合、受刑者の居住区は南寮と北寮という建物があり、南寮は全て雑居房、北寮は全て独居房というわかりやすいことになっていました。確かに3階の6号室あたりの雑居房にいました。平成6年の11月の10日頃までの半年ぐらいの間です。

ここで気になるのがなぜ、福井刑務所で受刑中にこのような極めて初歩的な法律の本が差し入れされたかということです。他にも感じていたことですが母親が誰かの相談や指示を受けて、差し入れを行っていたということです。

ここでまた別の発見がありました。「新法律学辞典」という古い本のことです。これも福井刑務所にいるときに母親から差し入れのあったものです。今確認すると、昭和43年6月20日の新版になっていました。ここまで古いものとは、今まで気がつかずに来たようにも思います。

我妻栄が編集代表者にもなっていました。知る人ぞ知る史上最も権威と知名度のある民法学者ではないかと思います。辞典と書いてあるだけあって相当な分量ですが、福井刑務所にいるとき、これの全てを読んだような記憶もあります。まんべんなく全体的な知識を身につけておこうと思いました。

それだけ情報の収集が難し時代と、刑務所という制約の大きな環境でしたが、当時は現在ほど怠惰でもなかったです。コンピュータの活用も福井刑務所に移送される前に母親にパソコンに関する本の差し入れを頼んでいました。

撮影した写真をアップロードしました。→ 一件記録・写真/その他/新法律学辞典 | 非常上告-最高検察庁御中Blogger http://bit.ly/1924Y5z

ファイル名: 新法律学辞典2013年7月17日撮影16.jpgをみると平成6年8月23日に初めて手元に入ったようです。南寮3階6室と当時雑居房にいたことも確認できます。自分の記憶では11月の10日頃に独居房に移り出所まで独居房の生活でした。

独居房に移ることになったのは損害賠償の民事裁判を被害者から起こされ、郵送されてきた書面を房内所持するためでした。金沢地方裁判所の民事部から郵送されてきたものであったと思いますが、元々は原告代理人の長谷川紘之弁護士の提出のものかと思います。

独居房に移ると、ちょうど銭湯によく置いてある脱衣所のプラスチック製の長方形の網かごに、それをちょうど満たすような分量の書面を受け取ることになりました。長くて一週間後ぐらいだったと思いますが、次は木梨松嗣弁護士から記録が郵送されてきました。

これも木梨松嗣弁護士が直接郵送してきたものではなく、母親のところに送られてきたものを母親が送ってくれたというかたちでしたが、木梨松嗣弁護士から送られてきたのでそちらに送ったというような簡単な説明しか受けることがなかったです。

0 件のコメント:

コメントを投稿