2013年5月16日木曜日

「ハイエナ弁護士」という未来/元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記

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"Title : 「ハイエナ弁護士」という未来/元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記
"Cats : 弁護士
"Tags : 弁護士業務
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弁護士という存在に、「ハイエナ」という言葉が被せられるのを、いまやよく目にします。かつて日本でそれが使われるのは、訴訟社会アメリカの弁護士たちの話と相場は決まっていましたが、特に「過払いバブル」以降、ネットやメディアで、この表現が日本の弁護士たちに被せられることが増えたような印象があります。

 弁護士の増員による経済環境の激変、「生き残り」をかけた競争の激化、そしてその中での倫理の低下。淘汰が良質化をもたらす、という「改革」を肯定する楽観論とはうらはらに、その負の影響への懸念は、確実に広がりつつあり、それはかつて悪い見本のように語られていたアメリカの姿に近づきつつある恐れのようにもみることができます。「ハイエナ」という言葉の台頭は、そのことを象徴しているように思えるのです(「『ビジネス』にも『ハイエナ』にも見える弁護士像」 「弁護士が『うさん臭い』社会」)

 利に群がる、利を漁る、さらに他人の利のおこぼれをむさぼるような存在や行為に被せられる、ネガティブなこの表現が、弁護士に使われる時、それは非常にグロテスクな効果を発揮します。多くの場合、正義を掲げている弁護士が、自らの利益のために「金に群がる姿」に用いられるわけですが、あえてもう一つ付け加えれば、それが同時に「不幸に群がる姿」でもあるところに、その効果の理由があるように思います。

引用:元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記 「ハイエナ弁護士」という未来



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