2013年2月24日日曜日

ザ・スクープによれば何人もの自殺未遂者が出たとのとこですが、末端の買収・ 被買収ごときで<元検弁護士のつぶやき>



鹿児島県警、ウソの供述を強要(追記)

 ろーやーずくらぶの増田先生が紹介していたHP(ザ・スクープのクリップ)を見ました。
 捜査経過と公判の推移の詳細を知りませんので、起訴時点での起訴検事の認識と予見可能性がどのようなものであったのかが必ずしもはっきりしませんが、検事の目から見てかなり常軌を逸した事情があったのではないかと想像されます。
 つまり、精一杯控えめに言って、つまり目一杯検事サイドに立ったとしても、起訴には相当慎重でなければならなかった事案だと思われます。

 「相当慎重」と言うのは、検事自らが虚心坦懐に被疑者の取り調べを行い、自白に至る経緯について詳細に確認し、警察に対する自白の任意性と信用性について最大限の疑いを持ちながら調べる必要があったのではないか、ということです。

 ザ・スクープによれば何人もの自殺未遂者が出たとのとこですが、末端の買収・被買収ごときで自殺しようと考えることが不自然です。
 県民性にもよると思いますが、やったことを認めるより、やってもいないことを認めさせられることのほうがはるかに屈辱的であり精神的苦痛が大きいはずです。

 さらに弁護士接見の妨害と解任強要があったようです。
 これは重大な問題です。
 被疑者と弁護士との関係は、被疑者と弁護士だけの問題であり、仮に冗談であったとしても警察が被疑者に弁護士の解任を促すことだけでも供述の任意性を否定すべき事情になると見るべきです。

 それに加えて今回の自白強要の発覚ですから、もはやこの裁判は検察のこれ以上の立証を許すべきでない段階にあるように思います。

 このような自白強要が明らかになりますと、私の取り調べの可視化に対するスタンスも修正せざるを得ないかなと思います。
 ヤメ記者弁護士のヤメ蚊先生の、警察庁刑事局は可視化に反対?!における

そもそも、信頼関係を構築して得られたはずの自白がなぜ争われるのでしょうか。

という指摘は、取調べに携わる者が常に自問自答しなければならない問題だと思います。

 もっとも、ヤメ蚊先生がブログで使用されている「信頼関係」という言葉は強い皮肉を込めて用いられているようですので、私が以前に「信頼関係」について書いた記事とは意味合いが違います。

 文字通りに「信頼関係」を構築して得られた自白もありますが、鹿児島県警の自白強要事件は日本の全ての警察官や検察官の獲得する自白に対して強い疑念を生じさせるものです。
 その意味で、鹿児島県警は警察組織を代表して自分で自分の首を締めたと言うことができます。

 「自白を得る」ということと「自白調書を作る」ということの決定的な違いを、鹿児島県警の警察官も鹿児島地検の検事も区別できていなかった(現在形が適切かも知れませんが)と思います。
モトケン (2006年1月 5日 17:14) | コメント(6) | トラックバック(4) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:鹿児島県警、ウソの供述を強要(追記) - 元検弁護士のつぶやき


送信者 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき


0 件のコメント:

コメントを投稿