2013年2月25日月曜日

裁判官の事実認定能力と事実認定の方法または考え方を前提に・・・つまりプロ フェッショナルを念頭において作成<元検弁護士のつぶやき>



裁判員制度と捜査

 捜査というのは、まず被疑者が真犯人であるかどうかの確認をしなければなりませんが、
 被疑者が真犯人である場合において述べますと、公判(裁判)において被告人(起訴後の被疑者)を有罪にするための証拠を収集する活動であると言えます。
 
 ところで証拠を収集すると言いましたが、証拠には、見つけ出される証拠と作り出される証拠があります。

 殺人事件における凶器などの証拠物(物証)は見つけ出される証拠です。

 しかし供述調書に代表される書証は、作り出される証拠です。
 他に重要な書証としては、実況見分調書、鑑定書などがあります。
 これらの書証は犯行時点においては存在しなかったものであり、捜査の過程で主に警察官や検察官が作成するものです。その意味で作り出される証拠です。

 ところで、これらの書証つまり書類は誰に読んでもらうために作成するかといいますと、裁判官に読んでもらうために作成するのです。
 裁判官に読んでもらって、被告人が有罪であると確信してもらうために作成するのです。

 これまで、書証は、一般的な裁判官の事実認定能力と事実認定の方法または考え方を前提にして作成されてきました。
 つまりプロフェッショナルを念頭において作成されてきたのです。

 ところが裁判員制度が始まりますと、素人の裁判員の事実認定能力を前提にして書証を作成する必要が生じます。

 外形的事実の立証についてはあまり差は生じないかもしれませんが、主観的事実、例えば故意の立証にあたっては相当の違いが生じるのではないかと考えています。
 そもそも故意とは何、という問題からあるわけです。
 私は、ロースクールの学生に対しても故意を理解させるのに苦労しているのです。
 一般市民の方が、法律的意味における、動機、目的、故意の区別がどの程度できるのかかなり心配です。
 まして未必の故意などが問題になるとさらに難しくなります。

 このような主観的事実を裁判員にもわかりやすいように供述調書を作成しようとすると、取調べにかなりの無理が生じる危険があるのではないかと危惧しています。
 特に被疑者が言い訳がましい場合において、今までなら、言い訳を聞きながらもつぼを押さえた調書を取れば裁判官はわかってくれる、というところがあったと思いますが、裁判員相手にそれが通じるかどうかやってみないとわからないです。
 一見否認調書、被疑者本人も否認しているつもり、しかし見る人が見れば自白調書、というものがあります。
 裁判員に見る目を期待できるかどうかが問題です。

 また、関係者の供述が食い違っている場合に、それらの供述の信用性判断や矛盾する供述の中から最低限認められる事実を認定する場合は、相当の経験が必要だと思います。
 人生でたぶん一度しか経験しない裁判員に深い経験を求めることはできません。
 いきおい供述を合わせる捜査になりはしないかと心配です。

 裁判員制度を推進されている方々の中で、裁判員制度が捜査に及ぼす影響を考えている人がどれだけいるのか、私にはわかりません。

追記(2005/11/7)
落合弁護士が関連記事を書いておられます。
適切かつ重要な問題点の指摘だと思います。
モトケン (2005年11月 2日 20:23) | コメント(2) | トラックバック(2) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:裁判員制度と捜査 - 元検弁護士のつぶやき


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